亀崎港8月11日、ハゼ・セイゴ数釣りの後に待っていた料理の壁
亀崎港でハゼ狙いが、いつの間にかセイゴ祭りに
8月11日、朝から狂ったように当たる竿先
亀崎港に着いて、まず狙っていたのはハゼだった。足元の砂地を丁寧に探りながら、ちょい投げでコツコツと当たりを拾っていくつもりでいた。ところがその日は、竿を出した瞬間から様子がおかしかった。仕掛けを投げて着底させるかさせないかのうちに、穂先がクンッと入る。外道混じりの元気なアタリだ。ハゼ特有の小刻みなアタリとは明らかに質が違っていて、最初の数投で「今日は何かいる」と体が分かってしまった。
ハゼ狙いの仕掛けにセイゴが食ってきた瞬間
案の定というべきか、竿を持ち上げた瞬間にグンッと重みが乗った。ハゼの仕掛けにハゼが食っていない引き。慌てて竿を立てると、水面でギラッと銀色の魚体が跳ねた。セイゴだった。ハゼ狙いの細い仕掛けにセイゴが食ってくるとは思っていなかったので、正直かなり驚いた。うれしい誤算というやつだ。ただ、この一匹が後の展開を予感させるものだったとは、このときはまだ分かっていなかった。
数釣りが止まらなくなった時間帯
針を外す手が追いつかないペース
そこから先は、もう手が止まらなくなった。仕掛けを下ろす、当たる、上げる、外す、また下ろす。この繰り返しがずっと続く。ハゼは口の中に針が入り込んでいることが多く、外すのに少し手間取る。セイゴは暴れるので、下手に触ると手を切りそうになる。どちらも一筋縄ではいかない魚なのに、それが交互にどんどん来る。一匹外している間に、隣の竿先がまた曲がっているような感覚すらあった。
クーラーボックスがどんどん重くなる感覚
最初は軽い気持ちで蓋を開け閉めしていたクーラーボックスが、気づけばずっしりと重くなっていた。魚を入れるたびに「あ、また増えた」と実感する。持ち上げたときの手ごたえで釣果が分かるというのは、数釣りをした人にしか分からない感覚だと思う。うれしいはずなのに、どこかで「これ、後で大変なことになるぞ」という予感がよぎった瞬間があった。今思えば、あれが今日の伏線だった。
「今日は当たり日だ」と気づいてからの立ち回り
場所を大きく動かさずに粘った理由
これだけ当たりが出る日は、そう頻繁にあるものではない。だから私は、少し当たりが落ち着いても大きく場所を移動せず、同じ場所で粘ることにした。魚が回遊してきているのか、それとも群れがそこに居着いているのか正確には分からなかったが、動いて外すよりも、同じポイントで待つ方が今日は分がいいと感じた。実際、少し間が空いても、しばらくすればまたアタリが戻ってくる。この読みは間違っていなかったと思う。
欲を出して延長した結果
「あと少しだけ」と思って延長したのが、今回の一番の反省点かもしれない。もう十分な数になっているのに、まだ当たるとなればやめられない。これは釣り人なら誰でも分かる感覚だと思う。結果として、当初の予定よりもかなり長く粘ってしまい、持ち帰る魚の量はさらに膨れ上がった。この時点では満足感しかなかったのだが、帰宅してからその代償を思い知ることになる。
持ち帰った魚を前に固まった帰宅後
ハゼとセイゴが混在した山を見て青ざめる
家に着いてクーラーボックスを開けた瞬間、正直ちょっと固まった。ハゼとセイゴがごちゃまぜになった状態で、山のように積み重なっている。釣り場では「よく釣れたな」で済んでいた光景が、台所という場所に持ち込まれた途端、まったく違う意味を持ち始める。これを一匹ずつ処理しないといけないという現実が、じわじわと重くのしかかってきた。
下処理だけで想定外に時間を使う
ハゼは小さいながらもウロコを取り、内臓を出す作業が必要になる。セイゴは体が大きい分、下ろすのにそれなりの力と時間がかかる。魚種が違えば処理の仕方も微妙に違うので、頭を切り替えながら作業を進めなければならない。数が多いというのは、その手間が単純に掛け算になるということだ。想定していたよりもずっと長い時間、シンクの前に立ち続けることになった。
[写真: 下処理を終えた魚が並んだまな板]
数釣りの本当の代償は釣り場ではなく台所にあった
一匹一匹の処理に追われる夜
釣っている間はあれほど楽しかったのに、気づけば夜になっても包丁を握っていた。手はぬるぬるするし、腰は痛くなるし、正直この日ばかりは「釣れすぎるのも考えものだ」と思わずにはいられなかった。数釣りの楽しさと、持ち帰った後の労力は、まったく別のベクトルで存在している。釣り場での興奮がそのまま台所での喜びに直結するわけではない、ということを、この日ほど強く感じたことはなかった。
次に亀崎港へ行くときに決めておきたいこと
この経験があってから、私は「釣れる日ほど、持ち帰る量を自分でコントロールする」という考え方に変わった。すべてを持ち帰る必要はない。食べきれる分、処理しきれる分を見極めて、そこで竿をたたむ判断も大事だと思う。次に亀崎港へ行くときは、当たりが続いても欲を出しすぎず、台所の自分に無理をさせない釣りをしたい。数釣りの快感は忘れられないけれど、あの夜の包丁の重さも、しばらくは忘れられそうにない。

