仕事終わりの釣り、大雨で流れた日にやったこと
昼過ぎの空模様がどんどん怪しくなっていった
仕事終わりに釣りに行くつもりで、朝から支度を済ませていた。天気予報でも午前中は晴れマークが並んでいて、正直「今日は行ける日だな」としか思っていなかった。
午前中は晴れてたのに、休憩中に雲行きが変わった
午前中はデスクの窓から見える空も青くて、雲ひとつないくらいだった。ところが昼休憩に入って外に出た瞬間、なんとなく空気が湿っぽい。見上げると、さっきまでなかった灰色の雲がじわじわ広がってきていた。「まあ夕方までには晴れるだろう」くらいに軽く考えて、午後の仕事に戻った。
天気予報の雨雲レーダーを何度も見返した午後
そこからがよくなかった。仕事の合間にスマホで雨雲レーダーを開く回数が、明らかに増えた。最初は薄い水色だった雨雲の帯が、見返すたびに濃い紫に近づいていく。しかも動きが遅くて、居座るタイプの雨だというのが素人目にもわかった。画面を閉じてはまた開き、を繰り返しているうちに、期待よりも不安のほうが大きくなっていった。
「今日は行ける」と思ってた自分への言い訳探し
雨雲レーダーが怪しくなってきても、しばらくは自分に都合のいい情報ばかり拾おうとしていた。
道具はすでに車に積んであった
実は前の晩のうちに、竿とタックルボックスは車に積み込んでいた。仕事終わりにそのまま向かうつもりだったから、準備は万端だったのだ。だからこそ余計に「このまま何もせず終わるわけがない」という気持ちが強くて、多少の雨なら決行する前提で頭が動いていた。
仕事の合間に頭の中でポイントと時間配分を組んでた
業務の合間にも、頭の中では釣り場までの道順や、着いてからどのポイントに入るかをずっとシミュレーションしていた。日没までの限られた時間をどう使うか、移動時間を差し引いて実釣は何分取れるか。そんな計算を、資料を作りながら片手間でやっていたのだから、集中力なんてあったものじゃない。今思えば、その時点でもう心は釣り場に半分行っていた。
大雨決定の瞬間、正直どう思ったか
定時が近づくにつれて、窓の外の音がはっきり変わった。ぱらぱらという音から、ざあっという連続した音に。これはもう言い訳のしようがない、本降りだと確信した瞬間だった。
諦めがついたのは意外と早かった
不思議なもので、そこまで粘っていた気持ちがすっと切り替わった。窓ガラスを叩く雨粒を見ながら「ああ、今日は無理だな」と、案外あっさり受け入れられた自分がいた。悔しさより先に、変な安心感みたいなものすら感じたくらいだ。無理に行って車の中でずぶ濡れの道具と格闘するより、潔く諦めたほうが精神衛生上いいと、経験でわかっていたのかもしれない。
それでも「せめて土砂降りじゃなければ」と粘って考えた数分
とはいえ、完全に切り替わるまでには数分の抵抗があった。「小雨程度に弱まるならカッパを着てでも」「せめて風がなければ」と、条件をどんどん下げながら可能性を探していた自分がいる。結局その数分は、行けない現実を受け入れるための助走だったんだと思う。
行けなかった日にやった、行けなかった日なりの過ごし方
釣りに行けないと決まってからの時間の使い方にも、自分なりの区切りがあった。
帰り道に道具を降ろさずそのまま持ち帰った理由
車に積んだままの竿とタックルボックスは、あえてそのまま乗せておくことにした。降ろしてしまうと「今日はもう釣りをしない日」だと完全に確定してしまう気がして、なんとなく踏ん切りがつかなかったのだ。次の機会にすぐ動けるようにという実用面もあるけれど、それ以上に気持ちの問題が大きかったと思う。
明日以降の釣行に頭を切り替えるためにやったこと
家に帰ってからは、次に行けそうな日を天気予報とにらめっこしながら探した。週間予報を眺めて、晴れマークが並ぶ日に丸をつける。それだけのことなのに、不思議と気持ちが前を向いた。行けなかった悔しさを引きずるより、次の一投に気持ちを向けたほうがずっと建設的だと、この歳になってようやく実感として分かってきた気がする。
再開したばかりだからこそ感じた「予定が流れる」ことの重み
釣りを再開してから、こういう「行けなかった日」の重みが、以前とはまるで違って感じられる。
昔は雨でも気にせず出ていた気がする
子どもの頃は、多少の雨なら気にせず川に出ていた記憶がある。父や祖父に連れられて、傘を差しながら竿を出したこともあったくらいだ。あの頃は釣りに行ける機会そのものが日常にあふれていて、一回くらい流れても「また今度」で済んでいた。
久しぶりの釣りだからこそ、次の1回を大事にしたいと思った
今は社会人として仕事の合間を縫って予定を組んでいるから、一回の釣行にかける重みがまるで違う。だからこそ、大雨で流れたこの日の悔しさも、以前より鮮明に残っている。ただ、その悔しさは決して悪いものじゃない。むしろ「次こそ絶対に行く」という気持ちを強くしてくれた。車に積みっぱなしの道具を見るたびに、次の休みを楽しみにしている自分がいる。

